今回来日予定だった、昨年7月ポルトガル各地で「忘れられた少年」に共演したポルトガルセトゥバル市室内合唱団が、ポルトガル側からの資金援助が得られなく困っている旨伝えてきていたので、当会も出来るだけの協力をして支援を得られるようポルトガル側にも働きかけ、彼らにも妥協案を提出していました。しかし一ヶ月くらい前になって、結論として来日できない旨を伝えられ、急遽7名だけを当会の全額負担で招待せざるを得ませんでした。
130万円の余分な負担で巡演を強行しましたが、オペラプラザ長崎ではすでに長崎各地でのあらゆる受け入れ態勢を整えていたので、中止できなかったのです。
いくらメールなどで何十回とやり取りしても、言葉だけでは彼らを説得できませんでした。私はザビエルオペラなど他の諸問題に忙殺される中の作業でしたので、ポルトガルまで行って説得するなどの私らしい強引?な方法が取れませんでした。
その為結果的に、オペラプラザ長崎のスタッフや関係者には、またまた大変な負担をかけてしまいました。
各地の受け入れ担当者にも、ご心配とご迷惑をかけたことは想像に余りあるものです。
皆様、有り難うございました。そして申し訳ございませんでした。
さて各地での事前練習は石多加代子が中心となってまさに粉骨砕身の指導を。受け入れ各地では、雲仙ルネッサンスフェスティバル企画推進者の田浦さん。南串山公演では出演者の渡邉さんや町田前町長ご夫妻そして元町長の床井さま。有家公演では磯野潔産婦人科医や出演者の門畑さんたち。長崎市滑石教会コンサートでは小瀬良神父や中山御夫妻と聖歌隊の皆様、そして江迎の末永さん達のいつもながらの大応援。波佐見町公演は共演した皆さんの様々な表裏の協力。巡演にはボランティアで様々な人々が裏方で活躍してくれました。皆様、本当に有り難うございました。
さて、彼らの来日してからの行動を追いながら今回の音楽祭の詳細を報告します。
7月25日
09:05 成田着 羽田へ
12:00 昼食
13:30 羽田発
ここまでは元スタッフのミッチーこと鈴木慶弘君が案内してくれました。彼はポルトガル巡演に同行しましたし、ポルトガルの彼らとも仲良しです。
15:15 福岡着 JAL1721
波佐見町がマイクロバスを出してくださり、福岡空港まで野崎などスタッフがお出迎え。
感動の再会場面があったことでしょう。私は行けませんでしたので……。
17:00 波佐見着
ポルトガルから波佐見まで27時間の大旅行で疲れ果てた彼らでしたが、
18:00 対面式 歓迎会(波佐見町町長列席)
この対面式で、早速ポルトガルの歌を披露。皆様ハーモニーの美しさにうっとり。
20:00 各家庭へ
いきなりのホームステイでしたが一人一家庭だったにもかかわらず、不安な様子もなく帰宅?しました。
7月26日
10:00 集合 雲仙へ出発
翌朝は3台の車に分乗して雲仙温泉へ。いつもながらのハプニングのため、
12:00 昼食
の予定が、13時過ぎに着き、あわただしい雰囲気の中、充分な練習も出来ないまま彼等の本番に。
14:30 ルネッサンス雲仙オープニングイヴェント参加
代表のゴンサロは少々きりきりしていましたが、各テレビ局が撮影する中、大拍手で終了。ホッ。日本式のマッサージをしてもらったり、雲仙温泉をぶらりとでき、ポルトガルの彼等も幸せだったでしょう。
16:00 終了 宿舎へ
これから5日間はミゲルの故郷、ここ千々石青年の家で、合宿練習。ログハウスで、最高の景色と空気でした。元スタッフの武村君が掲示板に写真を載せていましたね。あのとおりの風景です。
7月27日
この日も朝から少年の練習。発声練習はいつものラオララオラで動物などのマネッコ。ポルトガルでの練習の時と同様、相変わらず面白くやってくれました。
しかし彼らのうち二人は前回出演していなかったので、頑張って覚えてもらわねばなりませんでした。ポルトガルでもっと練習をやってきてほしかった……。また経験者の5人も、やはり日本語なので覚え直す作業をし直しました。彼等の気持ちはコンサートに傾いていたのでしょう。
18:30 オペラ通し稽古(コレジョ)
さて、各地からのソリストと嬉しい再会。山口からマンショの國元隆生さん、京都からは当会歌手会員でオペラプラザ京都の指導をして下さっている尾形光雄さん、北九州からは秀吉の住田資幸さん、東京からヴァリニャーノ神父の哲人、などなど。オペラプラザ長崎の出演者、そして島原半島の皆様とご対面。すぐに練習に。何とか2回通せたので、初めての出演参加者もオペラ全体をやっと把握できたようなお顔の方も。そんなものでしょう。
20:30 終了 宿舎へ
各地からの30人もの皆さんで、青年の家は一気に賑やかに。美しい夜空の星を何時までも見守りたい人も多く、みんななかなか寝付けなかったようでした。
7月28日
午前中 フリー
12:00 昼食
14:00 キリシタン遺跡見学
天草四郎縁の原城などを見学しました。何をポルトガル人は思ったでしょう?私は舞台仕込で同行できませんでしたので分かりませんが。
17:00 夕食
18:30 オペラ通し稽古(ハマユリックス)
この会場は初めてだったのですが、とても良い会場でした。東彼杵町の会場と同じくらいにいい感じでした。ポルトガルの皆さんと出演者の交流もまた進んでいったようでした。
20:30 終了 宿舎へ
この日も、流れ星を見に沢山の仲間が外に出て待っていました。見たものは大騒ぎ。でも3回唱えれば叶うという願いは誰も出来なかったようです。
7月29日
18:30 本番は南串山ハマユリックスホールに。
(宗像市のユリックスホールの名を思い出します。)
地元の少年マンショ役有馬里美と、ミゲル役小見川淳子。二人とも高校生で大変な努力をしたことと思います。個人レッスンもして上げられませんでしたが、精一杯の努力とやる気に溢れていました。オペラプラザ長崎からのマルチノ役の井元麻代とジュリアン役の中村弥由貴、それぞれに課題はありますが、後輩をひっぱりながら自分たちの課題に果敢にチャレンジしていました。大人のマルチノ役は尾形光雄さん。自分ではまり役、と思っていらっしゃるとおり、気合いがこもっていましたね。最後のアリアの美しさは格別でした。
國元さんのマンショ。今回はどんなマンショに作ってくるかと期待していました。そして期待以上に成長したマンショになっていてとても嬉しかったです。ミゲルは地元雲仙市の高原佐喜子さん。初参加でしかもソプラノ。おそらく大変だっただろうと思いますが、毎回の練習の中で、徐々に彼女なりのミゲルを深めていってくれ、ソプラノでありながらも、音楽的にもミゲルの情感を見事に歌いきってくれました。台詞もだんだんよく噛み締めるように語り出せ、お客様にもミゲルの苦悩がよく伝わっていったように思います。更なる成長を期待しています。私のことはともかく、大人の使節役が充実した気迫溢れる歌と演技を見せてくれると、この台本の構成上の狙いがくっきりとしてきて、とてもいいなと感じました。
やはり、このオペラは深い共感と気迫が何より大切ですね。少年役の若者にも同様のことがいつも言えるのですが、少年役希望者には、もっともっと要求したいことが出てきますね。全国からの少年役コンクールの実現を一年も早く!と南島原市長の松島さんに話しておきましたが、やはり市民の皆様の声が大切でしょう。お願いしますね。
どこにもあるプロ歌手のためのコンクールではなく、歌の技術より、元気で夢多き若者が「世界各地を見たい!世界各地の人と交流したい」と受けられるコンクールがあれば面白いと思うのです。入賞者8名を毎年、少年使節たちが400年前に訪ねた各地に連れて行きオペラに少年役で出てもらおう、という企画なのです。どう思いますか?
さて21:00 終演
この日は明日があるのでさっと片付け、後宿舎へ。早めにおやすみ。(出来たかな?)
7月30日
16:00 本番
会場が有家のコレジオホールに。スタッフは朝早くからまた大変だったでしょう。ここは5年くらい前に少年を公演させていただいたことがあります。あの時は有家町の主催でしたが、今回は当会の自主公演。いろんな意味で大変でした。演奏については、2回目でもあり、さらに共感を深めて演じてくれたように思います。ハマユリックスホール公演に続いたコレジオホールでの公演の感想とダブらせて書いています。
ベルナルドの谷口あゆみは、個人レッスンもしましたが確実に成長してきているのを感じます。同じ役にであっても、その役にさらに新たな気持ちで挑戦して行く気持ちは、誰にも大切なことでしょう。集中力もあるし、これからも期待しています。誰もみんな、時の流れと共に変化し、成長しているのですから、私達も新たな発見をしながら役作りをしましょう。当会の作・演出家はそれを望んでいます。おんなの坂田直子は、つい愚痴が多くなりがちなのは仕方ないのでしょうか。至って不器用だけれど、しかしこのおんなの歌については、じっくりときれいに歌ってくれました。彼女なりの成長を感じて内心嬉しく思っています。さらに素敵な、いつまでも十三?
18:30 終了
片付け後 磯野病院のチャペルで打ち上げ。磯野先生が当会掲示板に書かれていたように、大変な盛り上がりを見せ、帰るのが予定よりかなりオーバーしてしまいました。でもポルトガル人も私達も、どんなに島原半島の皆様と仲良くなれたことか……!やはり嬉しいですね、あのような光景。
7月31日
18:00 夕食後宿舎へ(ジャルシテイ長崎)
ポルトガル人だけにして、8月1日の夕方まで長崎市を自由に散策させてみました。ここで僕のアホ!波佐見にあたふたとスタッフと戻るとき、僕自身が自分のアタッシュケースを彼らのホテルに置き忘れたらしく、ひと騒ぎあったのですが、ホテルの玄関横に放置されていたのを奇特な方がフロントに届けてくださったと、翌日早朝ホテルからご連絡がありホッとしました。その奇特な方はすでに旅立たれて、お礼も言えませんでした。有難うございます。
8月1日
19:00 コンサート
さて、こぢんまりとした滑石教会に100名くらいの方々がいらっしゃり、とても暖かい友好コンサートが出来たように思います。7人の柔らかいアンサンブルが教会にはぴったり。各地からも聞きに来て下さった方々も、ポルトガルノ音楽にじっくりと酔いしれて下さったように思いました。こんなに空が青い、もポルトガル人とお客様も含め自然に大合唱。聞けなかった皆様は、残念!
20:30 終了 夕食後宿舎へ(波佐見-ログハウス)
夜中に波佐見の白仁田さんのログハウスに連れ帰り、今日からはここで最終日まで宿泊。山の中なので、何もありません。危険な動物は出てくるのか?と代表のゴンサロに聞かれたので、ライオンも虎も食べに来るから気を付けろ!と答えたら、そいつ等を捕まえて食べても良いか?と逆襲してきました。可愛いものですね。
8月2日は自由に波佐見町を見学。ポルトガル人は、またどこかで波佐見焼きのお土産を貰ったようで大満悦。
8月3日は、お昼前に波佐見中学校のブラスバンド部を訪問。大人のミゲル役で出演する原口先生率いるこのブラスは長崎県で金賞を取り九州大会に進出。おおいに張り切っていましたが、盛大な出迎えをしてくれた後、ポルトガル人たちの前でビックリするほどの見事な演奏。しかもブラスなのに合唱もやるのです。さすが原口先生。ポルトガル人たちは賞賛の声も出ないほど感激していましたが、彼らからも一曲の予定が三曲も歌のお返し。中学生達は、彼らは7人しかいないのにあんな見事なハーモニーを聞かせてくれて、とやはり大感激。アイコンタクトの上手さに、何かを感じ取っていたようです。
昼食後も、波佐見町役場でロビーコンサート。何と町長以下殆どの職員が4〜50名くらい待ち構え、彼らのアンサンブルに大拍手を送ってくれました。そして町長室に呼ばれて、またまた波佐見焼のお土産まで。よかったね、ポルトガルのみんな。
8月4日
19:00 本番
さて、最後の演奏会。まずは賑々しくコール波佐見の皿踊りから始まり民謡などを楽しく披露。ポルトガル人達の演奏は30分の予定が、45分に。そのため後が……。続いて原口さん率いる合唱団コスモスが大小道具を上手く使いながら、日本の童歌などを季節を追ってメドレーで。日本側もなかなかやります。一部の最後に「こんなに空が青い」の完全版をやる予定が、さっきの理由で台詞ナシの歌だけに。滑石教会の時は全曲できたのですが、ちょっと残念でした。
第二部の「忘れられた少年」ハイライト。島原半島の共演者達が、町田前町長さんらを含め10名くらい挙ってわざわざ見に駆けつけてきて下さり嬉しかったです。衣装は黒一色の演奏会形式が、かなり演技をしっかりしたため、演奏会形式というより一つの新しい演出、とお客様には映ったのではないでしょうか。
とにかく、「あなたのそばに!」の後の大拍手は、嬉しかったですね。今回は僕が指揮したり、歌ったり、また指揮に戻ったりでした。皆さんどう感じられたでしょう?ミゲルを演じ歌った原口先生。もともと素晴らしお声ですが、ますますいい方向に向かっていると思います。これからもヨロシクね。マンショの永江さん、今回は台詞だけでしたが、「忘れられた少年」は初演時からのメンバーです。次は合唱の細かい部分までしっかり思い出してもっと練習しましょうね。
21:00 終了
分かった人々が要領よく後片づけ。さすが、積み重ねてきた底力でしょうか、見事なものでした。みんな有難う。そして、
22:00 宿舎へ打ち上げ
ポルトガル人達はこの日までは歌えなくて、別に用意していた歌を10曲くらい歌いまくったでしょうか。日本人も何曲か歌い返して、また歌の交流会。夜中の2時に私は退散しましたが、噂によると4時頃まで続けていた者もいるとか……。
8月5日
まだ眠いみんなをたたき起こして、ココットといういつものレストランで最後の昼食。眠さもとんでゆき、楽しいお別れ会のような雰囲気に。スタッフはみんな、英語にも少し慣れて来てよかったね。(?)
12時半に波佐見趙総合文化会館のマイクロバスに乗り込むところで、波佐見中学校ブラスバンド部がお別れの挨拶。「こんなに空が青い」の大合唱が再度。
13:00 波佐見発
福岡空港へスタッフ全員と出演者の一部がお見送りに同行。僕は行けなかったのですが、空港で皿踊りか、奄美のろくちょう踊りをして奇異な目で周りから見られたとか。
15:05 福岡発 羽田へ(飛行機)JAL1722
16:40 羽田着 成田へ(バス)
19:00 成田着
21:50 成田発 ポルトガルへ
無事に帰国し、彼らも日常に戻ったことでしょう。そして日本人も。しばし例の放心状態の日々が……。いつも思いますが、これでいいのでしょうか……。
思い返せば、この巡演、今回も目に見えない限りない人々の参加によって支えられています。世の中、損得勘定ばかりが渦巻き、お金で動くしかないように見える今日この頃ですが、こんなお金儲けからは程遠い活動こそ、日本中に広がっていけばどんなにいいか、とつくづく思います。
ポルトガル人たちの全経費を全額負担せざるを得なくなったことは、今の経済状況を考えると未だに残念でなりませんが、彼等も感謝の言葉を何度も重ね、何か感じているようなので、あとは神様にお任せしましょう。
日本人の参加者にも思います。みんなそれぞれの事情がありながら、結局いつも全国各地からこんなに沢山の人々がボランティアで集まってくれ、こんなに楽しい音楽祭を成し遂げることが出来ました。
余談ですが終了後の2日後、「忘れられた少年」のハイライト公演をご覧になった、ある大学関係者でギタリストでもある方が僕に会いたいと昼食にお招きくださり、お話させて頂いたのですが、エドワードさんの作る舞台には「お能」の様式が入っているのでは?と尋ねられました。その上で素晴らしい銅版画集を見せられ、この世界がギターの本当の世界なのに、日本のギターのイメージは「禁じられた遊び」に象徴されるようなものが多くて淋しい、エドワードさん、作曲して下さい、とのことです。僕はギターは確かに好きですが、歌を作ることの方が自然にできるので、誰かいい人を紹介したいと思っています。
ギターのイメージで思い出すのですが、昔、「フォークソングの神様」と呼ばれた岡林信康が、「日本人は何でもすぐレッテルを貼りたがる」と嘆いていました。レッテルを貼ってこれはこうだと決め付けると、現代人は考えやすくなり、安心するのでしょうか?人間は生き物、男子たるもの三日経てば刮目して相手を見るべし、という言葉もあります。別に男子でなくても人間は、変わる部分と変わらない部分があります。生きてゆく中で本当に大きく成長してゆく僅かの人と、成長しているつもりが本人が気付かないうちに常識的な見方でがんじがらめになってゆく多数の人がいるように思えてなりません。
プロではない人々とともに作り上げる舞台はどんなものでも一般的に好きですが、そんな舞台づくりを通して、「参加者が自分に自信を持ち、豊かな心になって人々に優しくなれたらいいな」と思っていました。しかし結果は、歌や演技を学んだはずの人々同士がいがみ合うのをよく見かけます。「覚えた技術と知識で自分が偉くなったかのように錯覚し、人に優しくなるどころか自分が正しいと初心者に差別意識を持って人に接してしまう」ことが多いのは悲しいことです。僕はそんな音楽界が厭でした。
だから僕は身近なところから始めようと、僕のオペラ活動に参加する人が、小手先の技術や知識より、豊かな心を持てるように導きたかったのです。誰もが誰もを認め合い許しあえたら、世界各地での戦争もなくなるでしょう。でも僕の力はあまりに小さいし、おとなしく仙人で雲の上で一人遊んでいた方がよかったのかな?(笑)
僕の勝手な夢のため、経済的にもスタッフや関係者を苦しめ、皆さんを一時的に元気に出来ても、永続的な力をあげられなかったら自分は何をしてきたのか?なんて思ってしまうこともありますね……。
しかし今後の当会メインの事業として考えているのは、このようなユニバーサルデザインによるオペラ活動を全国展開することです。
今月29日は「フィガロの結婚」、30日は「魔法の笛と鈴」を昼夜2回、東京でもオリンピックセンターでその公演がもうすぐあります。
9月16日には福岡県の古賀市で「魔法の笛と鈴」。
京都では10月2日に 「やっぱり コジ・ファン・トゥッテ」
その上、当会の財政を圧迫している一番の大元、スペインとの合作によるザビエルオペラが11月29日に五反田のゆうぽうとで開催されます。
資金もスタッフも足りず、ボランティアでスタッフを募集しています。
皆さん、夏休みでポヤーっとしてないで、何らかの協力をして下さい。お願い!
ポルトガルのみんな、今度は旅行経費をちゃんと集めて日本へまた来いよ。日本側の出演者、支援者の皆さん、有難うございました。とりとめもない僕の言葉が皆様に少しでも響くことを願いながら。いや、あまり響かない方がいいかな??
では、また。暑中お見舞い申し上げます。暑い中みんな、仲良くして下さいね。
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