柴 田  南 雄

 このオペラは1990年に作曲、同年8月から9月にかけ、九州の各市各町村で20数回上演されました。このオペラでは、少年達の出発時の場面で蚊焼の「子守歌」や口之津の「手まり唄」など、長崎県の民謡や童謡も歌われます。また4人の少年使節は、第1幕ではほんの13歳くらいなので少年らしい、可憐な歌をうたいますが、第2幕になると、それぞれの運命に分かれ、苦難の歌、離別の歌、嘆きの歌を歌うことになります。彼らがポルトガルに到着した歓迎宴の場面では、当時の軽快なスペイン風音楽が鳴り響き、ローマの法皇庁で催された送別の宴では、少年達は壮大な合唱音楽で祝福されます。最後の場面では、合唱がこのオペラの中に何度も出てくる、聖書の句による印象的なメロディ「陽は昇り陽は沈む」を歌って幕となります。しかし、このように文章で綴っても、音楽は伝わりにくいものです。ぜひ、聴いて、見て、楽しんでいただきたいと思います。
 「忘れられた少年」は、石多さんが台本を書かれていますが、私はその台本に秘められた少年達のドラマに大いなる感銘を受けました。また、石多さんのオペラに対する情熱にも深い感銘を受けました。過去にも私はオペラを何曲か書いてきましたが、この作品は、オペラは初めてという九州の各市町村の少年やお年寄りと、都会の音楽ファンに共に楽しんでいただき、同時に私の作曲様式も貫き通すということで、自分にとっても大きなチャレンジでした。「忘れられた少年」は天正遺欧少年使節を題材としたものですから、日本的、ヨーロッパ的、そして何より現代に通じるものと、さまざまな音楽的感性が要求され、この点からもチャレンジと同時にスリリングな作曲体験ができたと思います。少年使節が旅した国々での上演の成功を確信すると共に、上演に関係された皆さんに感謝申し上げます。

《柴田南雄 プロフィール》

1916年 9月29日 東京都千代田区に生まれる
1939年 東京帝国大学理学部甲類卒業
     この頃から、諸井三郎氏に作曲を学ぶ
     東京科学 博物館属託となる
1943年 東京帝国大学文学部美術史学科卒業
     理研科学映画株式会社演出部員となる
1948年 子供のための音楽教室講師となる 
     第一回毎日音楽賞受賞(新声会同人となる)
1952年 桐朋女子高校音楽科講師となる
     同年、お茶の水女子大学専任講師となる
1959年 東京芸術大学助教授となる
1966年 東京芸術大学教授よなる('69年退職)
1970年 東京大学教養学部非常勤講師('87年まで)
1973年 尾高賞受賞(NHK交響楽団、1 972年度)
1975年 九州芸術工科大学非常勤講師となる('87年まで)
1982年 サントリー音楽賞受賞( 第13回、1 981年度)  紫綬褒賞受賞
1984年 放送大学(特殊法人放送大学学園立)教授となる('90年まで)
1988年 勲四等旭日小綬賃受賞
1992年 文化功労者となる
1996年 2月2日 永眠

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