NPO法人
東京オペラ協会

いっしょにオペラを楽しみませんか?
東京オペラ協会のステージで!



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東京オペラ協会が
めざすもの


私たち東京オペラ協会は、これまでの日本のオペラのあり方に疑問を持ち、1976年の発足時から、音楽界のためのオペラ活動をやめ、一般の市民とともに楽しめるオペラをと活動し続けてまいりました。音楽界の保守的な逆風の中、今日まで心ある皆様のお陰で奇跡的に生き残って来られたのです。

 オペラは舞台総合芸術として最高のもの、とされてきました。しかし私たちはこう申し上げたい。オペラは「今一番新しいもの!」と。なぜなら、オペラはまだまったくの未開拓といっていい分野で、可能性に満ち満ちているからです。

 このサイトでは、そんな当会の様々な紹介をしています。まだ未完成のサイトが多いのですが、少しずつ更新していきますので、色々とご意見ご要望をお寄せください。

代表あいさつ

石多エドワード

1976年の創立以来今まで、東京オペラ協会は日本でも海外でも、上演地の音楽家と一般市民が ソリストやコーラスで参加する、その様な形でオペラを上演することをずっと心がけてまいりました。

それによって一般の人々にとってもオペラが身近なものになり、オペラに参加した方々は元気になってくださるなど、上演地の活性化に非常に役だってきたことと思います。

皆様、この事業に心からのご支援を賜りますよう慎んでお願い申し上げます。  

      東京オペラ協会 代表 
         石多エドワード

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エドワード親書


  ドイツ巡演を終え

ドイツ巡演が終わって今一番感じていることは何と言っても、受け入れて協力をしてくれた日独の関係者の心温まる大変な歓待や、ドイツ側が我々のオペラを確実に高く評価してくれたことです。
ドイツの新聞社も2社がかなり大きく取り上げてくださり、公演前も何度も記事にして下さり、終了後もあのような大きな報告評論記事を3度も出して下さるとは、私も驚いています。

それにしても公演の可能性が二転三転どころか四転五転してやっと実現したこのドイツ公演です。その立て役者は勿論、我らが山ちゃんこと山本文保さんです。
そして交流協会会長をしていらっしゃるヨハンナさん。このお二人で、各方面を動かして実現してくれたと言って過言ではないでしょう。金銭面での最終責任は取るから、と私が伝えたこともあるでしょうが、このオペラと私たち参加者を気に入って下さったことが、ここまでご協力下さる気持ちになって下さったのでしょう。みんなの頑張り、人柄です。皆さん、いい人で良かったですね。日本側もドイツ側も。松井美幸さんも二人を補佐し、陰でどんなに動いて下さったことか。ヨハンナさんのご主人、アントンさんも美味しいお料理から、自家製の美味しいワイン、そして私のズボンのお洗濯までして下さり、ただ脱帽。ヨハンナさん宅で何もしない私がやや白い目見られ続けた様子はご想像下さい。

さて、日本側の皆さんにはまずお詫びから入りますが、ドイツ語では本当に苦労をかけました。
ドイツ語で話さなくても、観客にはドイツ語で台本を配るとか字幕を使えばいいではないか、という声もあったかと思いますが、敢えて私の我が儘を通させていただき、皆さんにドイツ語で台詞を語っていただくという大変な労力をかけてしまいました。
また、事前に一応出来ていたドイツ語訳を私がきちんとチェックしておかなかったために、後から訂正してしまったこともお詫びします。
その上、私が音楽的で演劇的な発音にするよう願っていたことを、直前にドイツ語指導をお願いした佐藤佳子さんによく説明しなかったために、普通の会話の発音に訂正させてしまったことも、みんなの更なる負担になり申し訳なく思っています。
しかし、皆さんの努力の結果はどうだったでしょう?
皆さんは、自分のドイツ語が少しでもドイツ人のお客様に伝わったことが嬉しくありませんか?最終的には、発音の完成度はともかくお客様も理解できたことはとても良かったと、聞きました。
改めて、出演者皆さまのご努力に深く感謝申し上げます。

演奏面では、まずABACOオーケストラが頑張って下さいました。指揮したクリストファーも若い情熱で、あの短期間によくやってくれたと思います。細かい部分、私が伝えきれなかったことは、お許し下さい。時間との戦いで、練習内容の優先度を私が調整していました。日本語を解さないドイツ人が日本語の歌を指揮する難しさは大変な筈ですから。
しかし、柴田先生の音楽をどんどん理解し深めてきてくれるのは目を見張るばかりで感心してみていました。

在ミュンヘンの華コーラスの皆さんも頑張ってくれました。初めは3曲だけの筈が、6曲になり、そして暗譜して舞台に立とうという声まで出ていたのです。新田先生のご指導もあって、発声が素直で、私も先乗りして二度ほど直接指導させていただきましたが、このオペラの日本語の表現にすぐにマッチしてくれました。
また、日本各地でやっているあの「ラオララオラ」の発声練習にも、すぐに飛び込んできて下さり楽しかったですね。
我々の帰国後も、あの練習方法を取り入れたいと新田先生が仰っていました。


日本からの参加者。

石多加代子のときゆく者。歌は安心していましたが、ドイツ語は大変だったでしょう。
多少は勉強してきて出来る筈ですが、今回ほど勉強したことはかってなかったとか?

マルチノの枝ちゃんこと、枝川一也さん。相変わらずの甘い美声を響かせていましたが、ドイツ語の方もかなり自然に話せていました、流石ですね。お母様孝行される姿にも優しいお人柄が溢れていました。これからもよろしくお願いします。

ミゲルの秦美智世は本当に大変だったことでしょう。ドイツ語などとんでもない、というところだったのでしょうが、少年役も兼ねたのであれだけの量の台詞をこなし、しかも主役のミゲル。教えだして4年、よくここまで成長してきてくれました。頑張ったね。

マンショの越智大之もドイツ語の大変さを身にしみて感じていたようです。しかし今回、歌も演技も少し成長を感じました。物怖じしないで向かって行く姿勢、いいですね。これからも期待しています。

少年マルチノの吉井美幸。彼女は教えだしてまだ2年。エドワードマジックを身に付けようと秦美智世同様に研修生となって頑張ってきました。まだまだ発声も音楽性もこれからですが、きっと更に成長してきてくれるでしょう。

少年マンショは長崎から廣田結希。他の少年と一緒に練習できなかったので不安だったでしょうが、長崎でしっかり練習してきてくれてすぐにみんなと解け合ってアンサンブル出来ていました。ドイツ語も不安だったでしょうが、少年役の中でもしっかりしていました。

自称丁稚奉公で事務局を一手に引き受けてくれた湊真帆が少年ジュリアン。何と教えだしてまだ5ヶ月です。その上、あの膨大な仕事量。敬服するばかりですが、おっちょこちょいがましになれば最高ですね、要求が過大ですか?

そう言えば、今回の少年のアンサンブルは今まででも傑出した綺麗なものでした。彼等に与えたドイツ語の課題も、それぞれによくこなしてくれ嬉しく思っています。

秀吉様には西田直人。今、新居浜で作っている新作歌劇「天空の町―伊庭貞剛と別子銅山」実行委員会の事務局長までしてもらっているのですが、来れなくなった結城さんのピンチヒッターで、ドイツに来てから監督の交替の指令。またか、という感じでしょうが、よく頑張ってくれました。「Ich, Hideyoshi」は口癖になりそうですね。

大奮闘だったのは、桑名湧さんの忍室。ご本人は辛かったかも知れませんが、あれだけの量のドイツ語に挑戦していただいたのです、いつもながら悪いのはすべて監督ですからあまり気になさらないで下さい。ミュンヘンでは日本語での忍室に燃えて下さり、有り難うございます。ザビエル役のヘルマンさんたちも快く対応して下さいましたね。また、お嬢さんと思いがけなくお会いでき、受付までお手伝いしていただいて恐縮でした。

ベルナルドの秋葉由紀は富山から。中学生のときにポルトガル公演にも参加し、このオペラには慣れているのですが、久しぶりでさぞ不安だったでしょう。ゆっくり発声を見て上げられなかったことは残念でしたが、本番に向かってよく頑張っていました。

おんな、のチャイ。日比合作オペラ「高山右近」で共演した懐かしいサントトーマス大学の4年生で、今は日本に留学中です。やはり研修生として私が時々教えているのですが、歌や舞台に向かう彼女の真摯さがとても気持ちよく、皆もいい刺激を受けていたのではないですか?体をほぐして声を離して捕まえられるようになるなれは相当な歌い手になるでしょう。
ホームステイ先のヨッヘンさん宅では、秦さんや吉井さんと共に大いに楽しんだ様で、彼との別れの寂しさが僕にも伝わってきていました。

町の上、はもう常連の佐藤佳子さん。みんなのドイツ語をよく見てくれました。僕のドイツ語発音についての意図をきちんと話しておかなかったことで、佐藤さんにも余計な負担をかけてしました。ゴメンナサイ。

ヤジローには脇内孝司君にチャレンジしてもらいました。ドイツ語に加え、役人役も兼ねてもらいました。大変だったことでしょうが、先輩たちを引っぱってよくやってくれていました。

早川さんには、いつものローマ法王だけでなく、役人にもチャレンジしていただきました。さすが頭脳明晰で、すぐに私の意図を理解して下さり、またしっかり勉強され、いつも感心しています。大名の役は勉強していらっしゃっただろうに失礼しました。

カトリック徳田教会を代表?してリッチャンこと白濱律雄さんが役人などバスで参加。暗譜で歌うのは苦手、と仰っていたのに、ここまでさせられるはーーー。ごめんなさい。しかし、バスのいい声をもっていらっしゃるので、これに懲りず頑張っていただきたいです。

福岡からは古川さんが再びフィリップⅡ世。役人までさせてしまいましたが、大変だったことでしょう。今度は歌の方も、一度しっかり勉強してみませんか?また、あちこちの自由旅行は楽しまれましたか?

ユダは長崎からの坂田直子さん。ジュリアンの居場所を役人に教える所はしっかりしたドイツ語の発音でよかったですよ。

佐賀の唐津からの山下康子さんは、いつものユニークなキャラで、村人などなかなかの名演技を楽しんでいましたね。

同じく佐賀の伊万里から中尾涼子さん。無理して来てもらったのですが、通訳などきちんとやって下さいました。舞台以外でも英語で活躍して下さったことでしょう。凛々しい立ち姿がいつも気持ちいいです。

佐世保の川口優子さんは大柄な老婆役。ところが、ドイツの人たちから、綺麗すぎてジュリアンが選んでも自然に見えてしまいました、とコメントされ。今後のメイクを考えねばなりませんかね?淀君は実に合っていました。

陸名瑞穂さんはホームスティを満喫できましたか?ヨハンナさん宅には無理してもらいましたが、「一生のお願い」を叶えてあげられてホッとしています。

最年少で参加した、谷野ひかりは高校三年生。実は大学受験の直前なのに参加したのです。小学校6年生のときにもポルトガル公演に参加していたので、海外公演の面白さをよく知っていて、参加してくれたのでしょう。11月3日が受験日とか。

ドイツからは、まずヘルマンさんのザビエル。大の演劇好きで、よく地元の舞台に立っていらっしゃるようですが、今回も見事な容姿でザビエルぴったり。その上、飲物の差し入れや、重い大道具の運搬までして下さり、感謝で一杯です。私とのハグでつい涙してしまった彼に、回りの皆ももらい泣き、本当に温かく素晴らしい人でした。再会を約しました。

そして、我らが山ちゃんは仏僧役。みんながミュンヘンに着いたときは普通の頭。そして翌日は何と見事に剃髪。さすが、やる気が漲っていました。

撮影班でご同行いただいた米田晃さん。ご多忙の中、有り難うございました。米田さんにはこのオペラの初回海外公演である20年前のイタリア公演からずっとご同行、ご協力いただいており、本当に感謝の限りです。

衣装を作っていただいた七里永子さんも、有り難うございます。衣装の製作のみならず、今まで当会の宣伝広報のご協力などもいろいろお手伝い下さってきました。七里さんのようにそっと私たちの活動を支えて下さっている方々に、いつか私の感謝の気持ちをまとめて表したいと願っています。

私自身のジュリアンも相変わらずの綱渡りで、やっとあそこまで歌い演じることが出来ました。何かに感謝せずには居られません。
皆さんも土曜日のDietramszellの教会で寒かったため風邪をひきかけた方も多かったことでしょう。みんな気合いで踏ん張りきって下さいました。やはり今回も、気合いというか集中力というか、人間の可能性は無限とも思える舞台でした。皆さんは日本でまた各地に散らばりましたが、今回のドイツ公演から、それぞれがそれぞれに何かを持ち帰って、活かして下さることと思います。歌い続けてください。

この通り、今回も数限りない方々のご協力で、このドイツ公演が実現しました。今回は大きなスポンサーがつかず、出演者にも金銭的なご負担をおかけし、申し訳なく思っております。
オペラで国際交流を!と唱え続け、はや20年。やっとここまで来たかとも思いますが、関係者の皆さんは徐々に理解を深めてきて下さっていることでしょう、世界平和に国際交流は大切です。しかもオペラでする国際交流は、とくに大変なことが多いかと思いますが、それもやり甲斐のある仕事と捕らえ直し、大いに楽しみたいと願います。
今回の公演の様子をご覧になり、次回のドイツ公演として、ベルリンの500名程度のキャパのオペラハウスの関係者をヨハンナさんが紹介して下さいました。どうなるか今のところわかりませんが、私のスケジュールとにらみ合わせながら、皆さんのご期待に添えるよう頑張ってみます。

それでは全国に散らばった皆さん、ドイツで(しばし)お別れした皆さん、感謝の気持ちでいっぱいです。皆さんに私に降り注ぐ天からの大きなエールを送ります、お受け取り下さい。

2011年11月3日
        石多エドワード

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最新情報

エドワード親書 追加

2011.07.08
エドワード親書 7月号
暑さに負けないで!をアップしました

ボランティアスタッフ募集中!

2011.07.01
ボランティアスタッフを募集しています
詳細はお電話で 03-5269-7895

近日公開……予定!?

2011.06.28
東京オペラ協会のiphone用サイトを作成中です

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公演スケジュール

新作歌劇
「天空の町」〜別子銅山と伊庭貞剛〜
(台本・作曲:石多エドワード)

■5月26日(土)27日(日)
■新居浜市市民文化センター

東京オペラ協会公演
「ガラコンサート」

■7月14日(土)19時開演
■国立オリンピック記念青少年総合センター カルチャー棟 小ホール

※上記は2012年3月11日現在の公演予定です。

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公演レパートリー

忘れられた少年

 オペラ
「忘れられた少年-天正遣欧少年使節」

   柴田南雄/作曲  石多エドワード/台本

少年

「日本とヨ-ロッパの国際交流を最初に成し遂げたのは誰でしょう?」と聞かれて、「天正遣欧少年使節」と答えられる日本人は、まだまだ少ないのではないでしょうか?
 日本とヨ-ロッパとの初めての国際交流、という大変な偉業を成し遂げた天正遣欧少年使節。それにも拘らず、キリスト教の話だからと少し敬遠されていた向きもあるようでした。
 しかし、若者が夢を見失い、暗いニュ-スばかりがマスコミで取り沙汰される今、大きな夢を抱いて旅だった天正少年使節がクロ-ズアップされるべきではないでしょうか?
 禁教令の為、突如逆境に追い込まれた彼らが、それぞれその逆境をそれぞれのやり方でどう乗り越えようとしたかを歌いあげるオペラです。現代の私たちが置かれている実情と重なり合い、私たち現代に生きるものを勇気づけずにおかないでしょう。

少年

 1996年に他界された、日本を代表する作曲家=柴田南雄の最後の大作オペラで、台本は東京オペラ協会芸術監督の石多エドワードが担当、日本から世界へのメッセージをこめて完成させたものです。東京オペラ協会の代表作品ともいえるこの作品は、日本各地はもとより、アジア・ヨーロッパ各国で130回の公演を行っています。

作曲の柴田南雄さんからのメッセージ


  柴田  柴田 南雄

 このオペラは1990年に作曲、同年8月から9月にかけ、九州の各市各町村で20数回上演されました。このオペラでは、少年達の出発時の場面で蚊焼の「子守歌」や口之津の「手まり唄」など、長崎県の民謡や童謡も歌われます。また4人の少年使節は、第1幕ではほんの13歳くらいなので少年らしい、可憐な歌をうたいますが、第2幕になると、それぞれの運命に分かれ、苦難の歌、離別の歌、嘆きの歌を歌うことになります。
 彼らがポルトガルに到着した歓迎宴の場面では、当時の軽快なスペイン風音楽が鳴り響き、ローマの法皇庁で催された送別の宴では、少年達は壮大な合唱音楽で祝福されます。最後の場面では、合唱がこのオペラの中に何度も出てくる、聖書の句による印象的なメロディ「陽は昇り陽は沈む」を歌って幕となります。しかし、このように文章で綴っても、音楽は伝わりにくいものです。ぜひ、聴いて、見て、楽しんでいただきたいと思います。

 「忘れられた少年」は、石多さんが台本を書かれていますが、私はその台本に秘められた少年達のドラマに大いなる感銘を受けました。また、石多さんのオペラに対する情熱にも深い感銘を受けました。過去にも私はオペラを何曲か書いてきましたが、この作品は、オペラは初めてという九州の各市町村の少年やお年寄りと、都会の音楽ファンに共に楽しんでいただき、同時に私の作曲様式も貫き通すということで、自分にとっても大きなチャレンジでした。「忘れられた少年」は天正遺欧少年使節を題材としたものですから、日本的、ヨーロッパ的、そして何より現代に通じるものと、さまざまな音楽的感性が要求され、この点からもチャレンジと同時にスリリングな作曲体験ができたと思います。
 少年使節が旅した国々での上演の成功を確信すると共に、上演に関係された皆さんに感謝申し上げます。

高山右近

フィリピン移民100周年記念事業
高山右近生誕450周年

日比合作オペラ『高山右近』

   台本:永久村次郎
   作曲:マヌエル・マランバ/石多エドワード



~日本からマニラにともに追放された者たちに言い遺す。『剣を取るものはみな、やがて剣で滅びん。』
 この地の人々と子孫を作り、いつの日か再び日本に帰りなさい。平和の使者として!~

高山 右近



 日比合作オペラの目的

オペラを日比合同で製作し、合同で日比巡演することにより、日比友好親善に深いレベルで貢献する。 武力を拒否し続けた高山右近の生き様をオペラで歌い上げることにより、世界平和にも貢献する。

ukon

 オペラのあらすじ

《第1幕》マニラへの船上

1614年宣教師・キリスト教徒追放令によりマニラに向かう船に高山右近ら一行が乗っている。 右近は、キリストの教えにより自分が変化していった日本での様々な思い出を蘇らせる。 彼のの武将としての成功や、茶人としての名声が大きな噂となる中、秀吉の禁教令の布告。 追放される右近を見守る、さまざまな人々、そして細川ガラシア………



《第2幕》キリストの国:フィリピン

一行はマニラで大歓迎を受けるが、スペイン人と彼らがもたらしたキリストの教えを受け入れるフィリピン人、その大きな包容力に右近は感動。そして、以前に流れ着いていた日本人たちの様子も描かれる。
いつか殉教を願った右近だったが、すべてを受け入れ最後に幸せに昇天する時、皆に言い遺す。

「ともに日本からマニラに追放された者たちよ。 『剣を取るものはみな、やがて剣で滅びん。』 この地の人々と子孫を作り、いつの日か再び日本に帰りなさい。平和の使者として」と。

右近が示した、自己の信ずる道一筋に全てを捨てて生き抜くこと………、 彼の生き様は、武力に振り回される現代に、何を物語ってくるだろう?

ザビエル

東京オペラ協会 創立30周年記念事業
500 years anniversary of birth Francisco Xavier

xavier

   原作:加賀乙彦
   台本:加賀乙彦・石多エドワード
   作曲:イニゴ・サラシバール・カサリ


趣旨・目的

 2006年は、日本に初めてキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルが生誕して500年になります。ザビエル誕生の1506年は、時あたかも「大航海時代」。スペイン、ポルトガルなどの西欧各国は、新世界に、また東洋の海原に、夢と富を求めて、帆船を繰り出します。ザビエルがナバラ王国のザビエル城で生まれたのは、ちょうどそんな世界史上の大変革の時代でした。

 1543年、種子島に一艘のポルトガル船が漂着。日本に鉄砲が伝わり、その後の日本の歴史を大きく変えていきます。その数年後、ザビエルはインドのゴアで一人の日本人に出会い、インド洋と東シナ海を越えた彼方に、「日本」という西欧に比する優れた文化を持ち、知識欲旺盛な、篤実な人たちがいることを知り、是非日本に渡り、キリストの教えを広め、自分が学んだパリ大学のような大学を日本の都に創ろうと志します。

 幾多の困難を乗り越え、1549年、ザビエルは、鹿児島に上陸。領主島津貴久の許可を得て、日本での布教の第一歩を踏み出します。鉄砲伝来が、西欧の物質文明の伝播ならば、ザビエルの渡来は、西欧の精神生活と日本人の心との初めての交流であったといえます。以後2年間に亘り、ザビエルは、平戸、山口、京都、大分と、献身的で、精力的な布教活動を行います。そのかたわら、ザビエルは、日本人がいかに誇り高い優秀な民族であるかを西欧の人々に伝えます。日本人は、ザビエルにより西欧を知り、西欧もまたザビエルにより日本を知ったのです。 当時、日本は室町時代の末期。京の都は、政情の乱れや度重なる戦禍によって荒廃し、ザビエルは、入洛はするものの、朝廷や幕府、比叡山はおろか、京の民衆にも一顧だにされず、志しを遂げることなく、むなしく踵を返さざるをえなかったと伝えられています。

 ザビエルは、当時の日本を見て、日本人と出会って、なにを思い、なにを感じたでしょうか。また、日本人は、信じられぬほど遠い国から、ただ神の愛を説くためだけに渡来したザビエルに、なにを見たのでしょうか。本公演は、「大航海時代」に生きたザビエルの生涯を追うとともに、日本における足跡を史実に基づいて辿りつつ、当時の日本人の心のありようをオペラに託して現代日本に照射し、精神世界における日本の未来を展望することを狙いとしています。

「ザビエル生誕500年」と時を同じくして、オペラによる国際交流と相互理解を大きな目的とする東京オペラ協会は、創立30周年を迎えます。オペラ「ザビエル」は、東と西を繋ぐスピリチュアルな振動となることでしょう。

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  あらすじ

  第1幕 ザビエル


 サンシャン島で死を前にしたザビエル。そこに現代人を含むいろいろな人々が集まる。そこにアンジローがまず能のワキとして登場し、続いてザビエルがシテとして登場。日本に来るまでのことが思い返され、描かれてゆく。ザビエル城での幼い頃。そしてパリでのいろいろな誘惑。マラッカで出会ったアンジローにより日本を知り、遂に日本へ布教を決意。

  第2幕 日  本

 鹿児島に上陸したザビエルは、美しい日本の風景、素朴な日本の人々と初めて接する。続いて伊集院の一宇治城で島津貴久、福昌寺で忍室和尚と出会う中、日本への理解を深めてゆく。
 やがて天皇に会って布教の許可を得るのが最良の道と思い、ザビエルは都に向かうが、貧しい恰好をした彼は京都御所では面会を断られ、比叡山の山門でも僧侶たちから追い返される。
 失望したザビエルは、西の都と呼ばれた山口で布教せんと街頭でも説教を始めるが、やはり誰からも相手にされないので意を決し、平戸から豪華な着物や土産を携え大内義隆を訪ね、やっと布教の許可を得る。しかし頼みの義孝が暗殺。そこでザビエルは府内に向かい大友宗麟の庇護を求める。宗麟は彼を大歓迎したため、ザビエルはやっと日本での布教の展望を明るくする。そこで更なる布教計画を立てたザビエルは、多くの宣教師を日本に派遣すべく、一度インドに帰る決意。

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  第3幕 ザビエルが遺したもの

 インドに帰ったザビエルは、まず日本人が敬う中国をまず布教すべしと、多くの反対を押し切り、中国のサンチェン島に向かうが、ザビエルは騙され結局みんないなくなり、ひとり取り残され貧しい小屋の中で死を迎える。
 死を前に浜辺に出てきたザビエルに、亡霊となったアンジローが現れ、二人で日本を懐かしむ。再びそこに現代の日本人が出てくるが、多くはザビエルに無関心。しかしそんな人々が、ザビエルを見ているうちに彼にだんだん惹きつけられて行き、最後にはザビエルを称える合唱に全員が参加し、大団円となる。ザビエルが能のシテとして舞台を去ってゆく中、幕となる。

蓬莱の国―徐福伝説

 日中合作歌劇
「蓬莱の国―徐福伝説」
 The Land of Happiness



 この日中合作歌劇は、司馬遷の「史記」にございます「徐福」を題材にしたもので、作曲は中国一級作曲家であられる呂遠先生と当会の石多エドワ-ドの共作で、台本は遊仙三郎の筆名で石多エドワ-ドが担当しました。
 徐福が秦の始皇帝の命令で、不老不死の仙薬を蓬莱の国=日本に求めに来たことにヒントを得、「不老不死とは何か」「人間の幸せはどこにあるか」「自然とともにあることの喜びを何故忘れていったのか」と自然と人間の共存がテ-マとなってゆきます。
 また上演は今までの公演すべてが、東京オペラ協会と中国でも第一の国立オペラ団である中国歌劇舞劇院との共演を続けてまいりました。そして、上演地のプロの音楽家やアマチュアの音楽愛好家、子供たちにも参加出演していただいて、国際交流がより深められるよう努力を続けております。

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  第1幕 徐福と始皇帝

 そのむかし中国では、戦いに続く戦いで、大地は荒れ果て、緑の野山は砂漠と化してゆく。そんな乱れた世を、強大な武力で平定したのが、秦の始皇帝である。
 いっぽう方士の徐福は、始皇帝の武力による平和を偽りの平和と否定し、自然と共に平和に生きて行くことに、人間の真の幸福があると考える。

 始皇帝は「人民に知恵を与えれば欲を募らせさらに混乱がおこり、結果的に不幸になる」と考え、厳しい法・制度を定め、焚書坑儒して思想統一をし、恐怖政治を行なった。そして、自分が不老不死の体を持つ永遠の絶対権力者になることが人民のためにも大切と考える。
 ところがある日、その自分が空しく死ぬ夢にうなされ、逆に徐福に助言を求めるのであった。
 徐福は、自然が人間を作ったのだから不老不死の仙薬も自然の中にあるはずと説き、東方に浮かぶ「蓬莱の国」に、いろんな穀物の種と数々の技術者、それに三千人の子供たちを伴い、不老不死の仙薬を捜しに行かせてくれるよう始皇帝に願う。
 始皇帝を説き伏せた徐福と一行は無事船出する。ところが途中で海が荒れだし、人身御供にされる子供達の身代わりにひとりの女が海に飛び込む。すると不思議なことに海は静まり、彼方に、蓬莱の国が見えてくる。

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  第2幕 蓬莱の国

 徐福の船団がたどりついた地は、まさしく自然豊かな蓬莱の国、また森の精が支配していた縄文時代末期の日本であった。この美しい国の住人たちは、一行を意外な形で優しく迎え入れる。徐福はこの国の自然の美しさと、人々の心の豊かさに感動する。やがて、文明の使者=徐福は、自然の象徴=森の精の化身キリモと愛し合うようになる。

 しかし徐福は、稲作をはじめ、養蚕、機織り、製紙などいろいろな弥生の文化を日本の各地に伝えるため、キリモと別れてさらに旅立ってゆく。そしてこの国は、徐福のもたらした技術により、たちまち豊かな国へと変貌を遂げてゆく。ところが、やがて時が経ち欲に目覚めた人々の中には、精霊たちの森を拓り開く者が現れ、森の精キリモの体はだんだんと痩せ衰えていく……。

 徐福は森と稲作、つまり自然と技術は共存できるのだ。それこそが蓬莱の国の知恵なのだ、と教えようとするが、誰もその話に耳を貸さなくなる。やがて徐福がある山の麓に着いたとき、そこに自然とともに元気に遊ぶ子供たちの姿を見、真の理想郷を見出す。その時呆然と立ち尽くす彼に、キリモが死んでゆく姿が浮かび上がる。
 やがて自らも死を迎えた徐福は、幻想の中で始皇帝に答える。不老不死の仙薬は、巡り行く自然に身を委ねることにあるのだ、と。その時、天からキリモが降りてきて徐福を迎え、二人はともに天に昇って二羽の鶴となる。
 最後に仙人たちが再び登場し、二人の子供はこれからステキな時代を作ろうとみんなに歌いかけ大合唱に広がってゆく。そして人々が自然とともに元気に生きて行く様を、鶴になった徐福とキリモが天から見守りながら幕となる。

魔   笛

  ミュージカルオペラ
    魔   笛


 ミュージカルオペラと名付けましたのは、オペラのしっかりとした歌唱力を身に付けた歌手が、ミュージカルの役者のように、自由に歌い踊りながら演じるからです。
 この「魔笛」は全国ですでに100回以上の上演を重ねていますが、立派な大ホールでも、体育館のようなところでも上演致しましたし、街角に突然現れて上演することさえございました。どんなところでもフレキシブルに上演できるのが特徴でもあります。

 さて、モーツァルトのオペラ「魔笛」の一番の特徴は、この中にある多種多様な素晴らしい音楽そのものでしょう。モーツァルトは「魔笛」の中に呆れるほどいろんな音楽を書き込みました。そしてそのどれもがそれぞれの色彩を輝かせて、私たち現代人の心に優しく響いてきます。

 私たちは小編成の演奏でありながら、創意と工夫で、モーツァルトの音楽のよさをどこまで引き出せるかにチャレンジしました。演出もモーツァルトの音楽そのものを、充分楽しめる雰囲気を作り出すことを前提条件にプランを進めました。もちろんそれは歌手達の表現力豊かな演技と歌唱に裏づけされたものですが。また全体の長さも、リズムとバランスを整えながら、楽しいところを中心に、2時間程度にまとめ上げました。訳詞と台詞も100回の公演の中で練り上げられたものですが、現代世相にももちろんステキなメッセージが込められております。  




ミュージカルオペラ「魔 笛」あらすじ

第1場 夜の女王が支配する深い森の中

 ある国の王子タミーノが大切な使命をもってこの国にやってきます。ところが大蛇に追われ森の中に迷いこんだところを夜の女王の侍女3人に救われます。そこへ夜の女王に鳥を届けては、その替わりに食べ物をもらって生活しているパパゲーノがやってきます。タミーノは夜の女王の一人娘パミーナの絵姿を見て、そのパミーナに一目惚れしてしまいますが、そこに夜の女王が現れ、娘のパミーナがザラストロにさらわれたことを告げ、パミーナを助け出してくれるようタミーノに頼んで去ります。そしてタミーノには魔法の笛、パパゲーノにも魔法の鈴を与えられ、勇気を出して二人はザラストロの城へと向かいます。

まてき

 第2場 ザラストロの城の前

 ザラストロに仕える黒人のモノスタトスがパミーナをいじめているところへ、パパゲーノがタミーノとはぐれて一人でやってきてモノスタトスと顔を合せ、お互いに気味悪がって逃げ出しますが、パパゲーノはすぐ戻ってきてパミーナに事情を説明してその場を一緒に逃げ去ります。続いてタミーノが三人の天使達に導かれやってきますが、パパゲーノ達と行き違いになってしまったので、お互いに笛で合図し合うのですが、パパゲーノの方は再びモノスタトスに見つけだされてしまいます。しかしあわやというところで夜の女王から与えられた魔法の鈴を鳴らすと……

 第3場 試練の場

 タミーノとパパゲーノはザラストロに会いに行ってザラストロが悪者ではなく、真の徳の高い立派な人であることを知ると、二人は高貴な人間になるための試練を受けることにします。タミーノは魔法の笛の力でみごとその試練を乗り越えてパミーナと結ばれ、ザラストロの後を継いでこの世界の支配者となりますが、パパゲーノの方は試練に破れ自殺しかけます……するとそこに……

フィガロの結婚

 現代歌舞伎版 ホームコメディ オペラ
   「フィガロの結婚」


 歌舞伎は日本の伝統文化の最たるものでありますが、考えてみますと歌舞伎は日本のオペラといえるものでもあります。オペラは西洋で生まれ育った総合舞台芸術で音楽・文学・美術の3要素がすべて含まれているわけですが、歌舞伎もその全ての要素が含まれた総合舞台芸術であります。
 昨今、各分野の芸術がクロスオーバーして共同して一つの合作芸術が生まれて注目を集めたりしています。同じ分野の芸術であっても西洋と東洋、昔と今、それぞれの芸術が統合して新しい現代の総合芸術が生まれても当然出しょう。芸術もまさにクロスオーバーの時代を迎えているわけです。
 新しいオペラの時代を拓こうとしています東京オペラ協会としましても、是非チャレンジしてみようとこの歌舞伎オペラを完成させたわけです。
 200年前のモーツァルトの古典オペラと、日本の古典芸術の歌舞伎を、現代日本の芸術家が再統合して一つの新しい総合舞台芸術を作ったわけです。

 具体的には、
モーツァルトの音楽はその儘おおいに活躍してもらって、ややこしい政治風刺の入ったストーリーを、過ちを許し合おうというテーマのホームドラマに。
 台詞は、歌舞伎っぽくも音楽的なリズミカルなものに統一し、登場人物に歌舞伎のポーズを一人づつに付け、やはり登場人物は以下のニックネームで呼ばれます。

フィガロ    =天才フィガロ
スザンナ    =ああ愛しのスザンナ
伯  爵    =偉大なお殿様
伯爵夫人    =お優しい奥様
ケルビーノ   =プレイケルビーノ
バルトロ    =威張りバルトロ
マルチェリーナ=マルチェリーナオールド
バジリオ    =バジリオ気取り
アントニオ   =アントニオビール
バルバリーナ =可愛いバルバリーナ

 古典オペラの中に現代へのメッセージを見つけ出してそれを膨らませる、という当会の姿勢がよく現れた典型的な作品に仕上がっております。どうぞお楽しみに!

フィガロ

  フィガロの結婚 あらすじ

   第 一 幕

(第1場) 愛する二人の新しい部屋で

 天才フィガロとああいとしのスザンナは今日が結婚式。二人とも幸せそうですが、偉大なお殿様がああ愛しのスザンナを策略を使って自分のものにしようとしているのを知り、天才フィガロは怒って、いつでも策略ごっこの相手をして差し上げます、と歌う。
 一方、マルチェリーナオールドは、天才フィガロに金を貸したときに書かせた“金を返せないときは結婚する”という証文を持っており、かつての情人いばりバルトロに協力を頼み、天才フィガロと結婚しようと計画します。

(第2場) 悩めるお優しい奥様の部屋で

 お優しい奥様とああいとしのスザンナが偉大なお殿様のことで悩んでいるところへ、天才フィガロが登場、解決策を示します。それは、お優しい奥様が「今宵お庭で男と忍び会う」と書いた手紙をバジリオ気取りを通じて偉大なお殿様に渡し、一方では、ああいとしのスザンナが、「今宵お庭で会いたい」と彼を呼びだして、実際には彼女の代わりにプレイケルビーノを変装させて偉大なお殿様が来たところを、お優しい奥様が取り押さえる、というものです。

figaro

   第 二 幕

(第1場)セレモニーは大広間で

 お優しい奥様は、新たな作戦を考えます。ああいとしのスザンナに、偉大なお殿様へのラブレターを書かせ、お庭に呼び出すように申しつけます。今度は自分がああいとしのスザンナの衣装を着ていき、偉大なお殿様を懲らしめようというのです。
 さて、裁判で天才フィガロは負けてしまいますが、そのとき何と、天才フィガロは、いばりバルトロとマルチェリーナオールドの子であることが判明し、いばりバルトロとマルチェリーナオールドも一緒に結婚式を挙げることになります。二組の結婚で式は大いに盛り上がりますが、ああいとしのスザンナは偉大なお殿様にそっとラブレターを渡します。それも天才フィガロには内緒で……。

(第2場)逢い引きは闇の樹陰で

 ああいとしのスザンナが偉大なお殿様と逢い引きすると思いこんだ天才フィガロは信じられぬと怒っていましたが、それが芝居だとわかって逆にああいとしのスザンナをからかいます。二人がやがて分かり合って仲良くなったところで、偉大なお殿様が出て来ます。そこで二人は、「お優しい奥様を天フィガロが口説いている」芝居を始め、それを見た偉大なお殿様が怒り狂って皆を呼び集めたところへ本物のお優しい奥様の言葉に感動し、唱和して愛を唱えたあと、皆で仲良く遊ぼうと歌い踊る中、幕となります。

第九交響曲 オペラ版

ベートーベン
第九交響曲 オペラ版



「第九ブーム」が日本全国に広がってもう20年余りが経過したでしょうか?
 東京オペラ協会も十数年前「東京オペラ研究会」と呼ばれていた頃、第九をブームでやるのではなく、もっとベートーベンと真正面から向き合おう!と、第九の内容をもっと深く共有できるよう、

1 現代舞踊で表現したり

2 歓喜のメロディーの源泉をいろんな曲に辿りながら演奏したり

3 音楽的な日本語訳を完成させて、日本語でうたったり

4 ゲーテやテレーゼ等を登場させ、当時のベートーベンを取り巻く環境を、彼の作曲作業とともに再現して、彼がいかにして第九に到達したかを描いたり致しました。

 当時はマスコミも大いに協力して下さり話題になったものですが、経済事情が許さなくなり、このオペラ版は4年間しか続けることができませんでした。

99

 さて、あれから十数年経って、当会も東京オペラ協会と名前が変わり、創立25周年を迎えられるほどに成長できました。各方面から、第九のオペラを再演してほしいというお声に、やっとお答えできる体勢が整ってまいりましたので、主催のご希望がございましたら積極的に取り組んでゆこうと思います。
 近年「第九」が下火になってきたとよく言われるようになりました。 あの頃私たちは予見致していましたが、第九の内容を実感できないまま上演するより、ベートーベンの思いをしっかりと抱きとめて演奏してみては如何でしょうか?
 オペラにする方法も上記のようにいろいろ考えられますが、現在は1と3を組み合わせた形がいいのでは、と考えております。

 新しい第九ブームにご一緒に火をつけませんか?

石多エドワード リサイタル


  石多エドワード リサイタル

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前半には石多エドワード自身のオリジナルソングと、ご存じの世界中の名曲を。後半にはオペラかミュージカルのハイライトをお楽しみ頂けます。 石多エドワードの歌の魅力を存分にお楽しみ下さい。

    石多エドワード  プロフィール

1947年9月21日 大阪市に生まれる。
 父はフィリピンで出生した日本人、母はスペイン系フィリピン人。

1965年3月 大阪府立高津高校卒業。
 在学中、体操部部長、自治会会長。高校時代は社会を良くしようと政治活動に入りかけるが挫折。世界を変えるにはまず自らを鍛え直そうと決意し、世界の古典文学、古典美術、古典音楽を吸収することに全力をかける。とりあえず哲学者になることを志望していたが、ベートーベンの後期弦楽四重奏に深く魅せられ、作曲家になるべく音大を目指す。

1996年4月 武蔵野音楽大学声楽科に入り、歌と作曲の勉強を同時に始める。しかし入学後、当時の音楽界の実態に違和感を感じ、新しい音楽活動を模索し始める。
1970年3月 武蔵野音楽大学声楽科卒業。
 在学中、作曲を平井康三郎他に師事。卒業後、日本フーゴー・ヴォルフ協会の同人としてドイツ歌曲を中心とした演奏活動を始めるが、社会性に限界を感じ退会、オペラ界に飛び込みオペラ活動を始める。

1976年7月 「東京オペラ協会」の前身、「グループ潮」第1回公演。
 以降、現在まで東京オペラ協会代表・芸術監督として下記の創作活動をしながら、東京オペラ協会の姉妹団体として生まれたオペラプラザ長崎、オペラプラザ京都、オペラプラザ福岡、オペラプラザ愛媛、オペラプラザ岡山、オペラプラザ信州の芸術監督も務める。

◎荒川区、豊島区、新宿区等で市民参加型のオペラ公演を全国に先がけて上演。全国各地にも紹介していく。
 現在、それが当会の主軸の一つであるユニバーサルデザインオペラの基礎となる。

◎欧州の古典作品を、現代の視点から再構成した公演を続ける。
○ビゼーの「カルメン」を東京山谷の夢物語に、またダンスオペラに。
○モーツァルトの「魔笛」を、「魔法の笛と鈴」とミュージカル化し、100回以上の公演。
○モーツァルトの「フィガロの結婚」を歌舞伎オペラにして、やはり全国で数十回の公演。
○ベートーベンの第九交響曲、バッハのマタイ受難曲のオペラ版を日本ではじめて上演。

◎「国際交流はオペラで!」と考え、日本から世界向けのオペラを創作・公演。
○オペラ「忘れられた少年ー天正遣欧少年使節」(柴田南雄作曲、石多エドワード台本)
○日中合作歌劇「蓬莱の国ー徐福伝説」(呂遠と共同作曲、遊仙三郎の筆名で台本)
○日比合作オペラ「高山右近」(マヌエル・マランバと共同作曲、永久村次郎の筆名で台本)
○日本ースペイン合作オペラ「ザビエル」(イニゴ・サラシバール・カサリと共同作曲、加賀乙彦・石多エドワード共同台本)

◎またオペラ歌手としてもモーツアルトを特に愛し、「フィガロの結婚」のフィガロとコンテ、「ドン・ジョバンニ」のドン・ジョバンニとレポレッロ、「コジ・ファン・トゥッテ」のドン・アルフォンゾ、「魔笛」のパパゲーノとザラストロ等を数多く主演する。
○石多エドワードのオリジナルの曲を中心に全国で40回のリサイタルを開催。

◎1979年〜1999年 帝京大学において教鞭をとる。
 「音楽」「現代芸術論」「音楽実技」等を担当。

◎歌は素朴なもののほどいいと感じ、石多エドワード歌曲集「こんなに空が青い」を再版。この歌集の中で、楽譜を二人で楽しく読めるようになる道も開く。

◎歌劇「天空の町ー別子山と伊庭貞剛」を愛媛県新居浜市実行委員会の委嘱により創作。

◎現在、国際交流オペラやユニバーサルデザインオペラを全国で展開している。

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